なや通りのおいたち
鹿児島市の天文館と並んでにぎやかな繁華街となっている『なや通り商店街』は、1615年(元和元年)薩摩藩主島津家久公によりお墨付きを得た48店舗の魚問屋を母体にとして開設されたのが始まりです。
近代初頭から明治末期にかけ、この通りは「納屋馬場(なやんばあ)」と呼ばれ 親しまれ、また中央市場が開設された昭和10年まで市民の台所と直結する唯一の公認の魚市場でした。
人々が行きかい、集い、商いがなされ、暮らしが営まれた納屋魚市場。 そこには、仕入れに来た板前さん達が立ち寄って一服する店屋、相撲の番付けやその日の結果を掲示し、相撲ファンを喜ばせる粋なはからいの酒屋などがあり、たいそうの賑わいを見せていました。
以来、時の流れとともに魚市場、衣料、雑貨、その他いろいろな商店が集まる商店街として賑わい、現在も鹿児島市の中心市街地『天文館』において重要な位置を占めています。
人が集い、人が楽しむ街『なや通り』。
なや通りの今は、遠い昔からのこの街の伝統「ふれあいの心」をしっかりと受け継いでいます。
祇園祭と納屋神輿(弐番神輿)
鹿児島市で江戸時代から続く、夏の風物詩「おぎおんさあ(祇園祭)」(鹿児島市指定無形民俗文化財)。
おぎおんさあのご神幸行列では、歩行者天国となった鹿児島市の中心市街地「天文館」(高見馬場~朝日通り間)の約2kmを、露祓を先頭に御所車や神官山車、神輿など総勢約2,000人が巡幸します。
十基の大人神輿で、納屋神輿は弐番神輿として、約150名の担ぎ手が「ソイヤ、ソイヤ」の威勢の良い掛け声とともに通りを練り歩き、途中、小さいお子様の無病息災を祈る「稚児上げ」や纏(まとい)を威勢よく振り、商売繁盛・無病息災を願います。
その昔、山車の行列が納屋上を通り、活気に満ち溢れていた祇園祭。
時代の変遷とともに一時期祭りの活気は失われ、再び活気を与えるべく「神輿」をこしらえ、祇園祭で威勢よく担いだのが納屋神輿です。
江戸時代に魚市場として始まった、納屋通りの溢れる活気が納屋神輿の原点。
鹿児島の祇園祭で最初に神輿を担いだ納屋神輿は、おぎおんさあの弐番神輿をはじめ、なや通りのお祝い行事に参加しています。
おぎおんさぁ納屋神輿(弐番神輿)紹介動画
熱のこもった納屋衆。熱い納屋弐番神輿の様子(ショートバージョン)を、Youtubeにご紹介しています。
どうぞ、ご覧ください。
納屋 弐番神輿 おぎおんさぁ2024
納屋 弐番神輿 おぎおんさぁ2023
新型コロナウイルスの影響で、2019年以来4年ぶりに規制なしの開催となりました。