7/20(土)・21日(日)、鹿児島市の無形文化財「おぎおんさぁ(祇園祭)」が執り行われ、なや通りの納屋弐番神輿も練り歩き(渡御)をいたしました。
https://ogionsaa.jp/
21日本祭、の発幸祭、ご神幸行列 大人神輿(弐番神輿)、着幸祭の様子をご紹介します。
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おぎおんさあ(祇園祭)
鹿児島市無形文化財の「おぎおんさあ(祇園祭)」は悪疫退散、商売繁盛を祈願して、江戸時代から行われている伝統的な祭りです。
(鹿児島五社の八坂神社(祇園社、祇園戸柱)は歴代藩主の信仰が厚く、「おぎおんさあ(祇園祭)」は京都祇園社にならったお祭りです。
諏訪神社の諏訪祭、稲荷神社の流鏑馬(やぶさめ)祭とともに「鹿児島三大祭り」とされています。)
【祇園祭りのいわれ】
祇園祭は、今からおよそ千百四年前の平安京の時代、毎年のように夏に全国で大流行する疫病の惨害を免れようとして、当時の全国の国数に応じた六十六本の鉾を建て、御霊を祓う神事を行ったことに由来しています。
鹿児島の祇園祭りは、江戸元禄時代ごろから行われ、庶民文化の興隆に伴って益々豪華絢爛、盛大な祭りになったと言い伝えられています。
〔八坂神社祇園奉賛会事務局(鹿児島商工会議所内)おぎおんさあポスターより引用〕
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納屋御輿
昭和34年(1959年)より受け継がれた歴史と伝統のある納屋神輿は、おかげさまで今年で65年を迎えました。
その昔、山車の行列が納屋上を通り、活気に満ち溢れていた祇園祭。
時代の変遷とともに一時期祭りの活気は失われ、再び活気を与えるべく「神輿」をこしらえ、祇園祭で威勢よく担いだのが納屋神輿(弐番神輿)です。
江戸時代に魚市場として始まった、納屋通りの溢れる活気が納屋神輿の原点。
鹿児島の祇園祭で最初に神輿を担いだ納屋神輿は、おぎおんさあの弐番神輿(祇園祭)をはじめ、なや通りのお祝い行事に参加しています。
▼祇園祭と納屋神輿(弐番神輿)
http://nayadori.com/history/index.html#nayamikoshi
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発幸祭
発幸祭(はっこうさい)は、ご神幸行列が出発する時に無事を祈る儀式となります。
八坂神社で壱番神輿に御霊遷し(ご神体を預けます)を行い、そのあと鹿児島商工会議所ビル(アイムビル)前にて執り行われました。
おぎおんさぁの歴史によると、鹿児島の八坂神社は、京都の八坂神社を勧請した神社です。
御祭神は日本神話の代表的神格で,出雲神話の祖神とされるスサノオノミコト、妃クシナダヒメノミコト、八王子(スサノオの八柱の御子神)です。
また、昔から行列の先導役として、大榊に猿田彦神(ニニギノミコトが天孫降臨された際、道案内をされた神)の面をつけて御神幸を行っており、榊は神の依り代といわれているそうです。
ご神幸行列
発幸祭のあとは天文館電車通りを、ご神幸行列の巡幸が始まりました。
ご神幸行列の順番は次のとおりです。
https://ogionsaa.jp/outline
ご神幸行列の最後は、大人神輿です。
傘鉾・神輿紹介 https://ogionsaa.jp/about/mikoshi
それぞれの神輿が商売繁盛・悪疫退散・無病息災を祈念し、渡御道中では子供達の「稚児上げ」を行い健やかなる成長を見守りました。
稲穂取りの儀
着幸祭の前に稲穂を取り外す、五穀豊穣の祈りが込められた「稲穂取りの儀」が執り行われました。
先導役の傘鉾(かさほこ)と後神霊を運ぶ神輿が、お互いの役割を果たせたことをねぎらう意味を込めて行われます。五穀豊穣の祈りが込められた稲穂を、納屋弐番神輿の7代目頭の佐野剛がありがたくいただきました。
五穀豊穣の祈りが込められた稲穂は、お花をいただきました方々にお礼を込めてお届けします。
着幸祭
ご神幸行列の到着を喜び、報告する儀式の着幸祭が、商工会議所ビル(アイムビル)前で執り行われました。
大変ありがとうございました。
400年余りの遠い昔より「納屋馬場(なやんばあ)」と親しまれ皆様に愛されてきた納屋通り商店街。
鹿児島の祇園祭で最初に神輿を担いだ納屋ん衆は、おぎおんさあの弐番神輿をはじめ、なや通りの様々なお祝い行事に参加し街の更なる活性化に努めております。
引き続き、変わらぬご指導、ご愛顧のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。